LEEDフェローであり、USGBCファカルティでもある3人のメンバーのサステナビリティへの貢献と未来を担うサステナビリティ人材への働きかけを紹介する記事にGBJ共同創立者平松氏が登場

 

LEEDフェローであり、USGBCファカルティでもある3人が、未来のグリーンな
先駆者たちのために、どのようにプロとしての道を切り開いているのかを紹介しています。

 

USGBC articles 原文(2023.4.25)

https://www.usgbc.org/articles/usgbc-member-experts-help-build-pipeline-sustainability-professionals

 

GBJの共同創立者である平松 宏城氏のインタビュー記事(日本語訳全文)

 

 

平松宏城氏は20年間、投資銀行でキャリアを積んでいたが、ある時、サステナビリティの分野で仕事をしたい、それが使命ではと感じ始める: 平松氏は、日本のランドスケープの将来性や社会起業の可能性を見い出し、「その変革の先頭に立ちたい」「誰かがやらなければならない」と思ったと語る。

 

2006年、平松氏は、日本にグリーンビルディングを増やすことを目的としたサステナビリティコンサルティング会社、株式会社ヴォンエルフを設立。平松氏は、時代を先取りしていた。パリ協定によって、世界の気候危機が急激にクローズアップされるのは、この時点であと10年後のことだ。日本では、2022年まで、企業に環境・社会・ガバナンス(ESG)パフォーマンスの開示を義務付ける厳格な法改正が提案されていない。しかし、グリーンビルディングの需要やそのためのベンチマークは、国内でも必要だと平松氏は言う。それが、平松氏がグリーンビルディングに取り組む理由である。「デベロッパーは、以前はサステナビリティに全く関心がなかったが2010年、2011年、2015年のパリ協定の前くらいから、サステナビリティに注目するようになり、デザイナーにサステナビリティに配慮した設計を求めるようになった」と平松氏は語る。”パリ協定後、世界全体が変わった”

 

平松氏は、日本の街や地域のスタイルをアップデートすることが、大きな経済的チャンスになると予見していた。若い世代が地域に足を運び、時が経ってもその場所が繁栄し、歩きやすさや活性化の面でも向上するような仕組みを作ることができると考えた。

 

株式会社ヴォンエルフはこのような街と企業のコラボレーションを直接手掛けている。例えば、ヴォンエルフ浜名湖サテライトオフィスは大阪と東京の間の郊外にあるコワーキングオフィスのようなスタイルで、社員は浜名湖のオフィスで働くことが可能。その結果、2つの効果が生まれた。ひとつは、平松氏が米国のアウトドアブランド、パタゴニア社(LEEDゴールドの建物所有)に憧れていたことから、パタゴニア社の「Let My People Go Surfing」のような働き方を選べるようになったこと。もうひとつは、平松氏がインスピレーションの源として挙げているニューヨークの旧ミートパッキング地区チェルシーにあるハイラインのような効果がもたらされる可能性があることだ。これにより、新しいビジネスや最先端の技術、新たな人々の流入によって、地域は人間中心のコミュニティとなるのだと平松氏は言う。

 

「バイオフィリックデザインは、地方都市を活性化させる鍵」と平松は言う。

 

平松氏は、多岐にわたる分野で活躍を続けている。ひとつは、グリーン・スカラシップの奨励だ。平松氏が共同創立したグリーンビルディング・ジャパンでは、学生が自分の街の既存の建物をどのように変えれば持続可能性が高まるかを考えるオピニオンチャレンジ(最優秀賞は10万円(約750ドル)を主催している。

 

LEED AP BD+CとNDの資格を持つ平松氏は、京都造形芸術大学や南山大学など、日本で大学の講師も務めた経験もあり、時には、大学生にLEEDとその理念を紹介することもある。USGBCのファカルティメンバーであり、LEEDフェローでもある経歴は、LEEDに関する講義の信頼性を高める一助となっている。

 

さらに、平松氏は 2003年から何度も読み返してきたカナダ・アメリカのベストセラー作家、ヴィートールド ・リブチンスキーの『A Clearing in Distance: Frederick Law Olmsted and America in the 19th Century』を日本語に翻訳し『オームステッド セントラルパークをつくった男』というタイトルで2022年12月に出版。

「サステナビリティコンサルティング会社を経営する中で、景観や都市をどう変えていくか、どうメッセージを発信していくか、多くのヒントを与えてくれた本書を、日本語で出版したかった」と平松は言う。「若い世代にもこの本を届けて、自分の哲学につながる何らかのきっかけをつかんでもらいたいと考えている」

 

 

平松氏が5年前に購入した果樹園が、かつての輝きを取り戻したことも活躍のひとつに数えられる。現在はヤギやニワトリが飼われ、有機栽培の野菜や果物が育ち、その野菜を調理して提供するカフェとの提携も企画。

 

現在、LEEDは日本では魅力的な存在であり、グリーンビルディングのマーケティングツールとして利用されていると平松氏は言う。LEEDの名前がブランドとして認知されるようになったのは、グリーンな未来をいち早く実現しようとするこの国で、サステナビリティの基準が浸透してきたことのひとつに過ぎない。それは平松氏の環境に配慮した社会起業家としての存在が認知され機能しているより大きなサインでもあり、若い世代がそれを見て学び自らも実践していくことができるというサインでもある。

 

「2002年に投資からサステナビリティディベロップメントにキャリアチェンジした時に、10年後、15年後に大きなニーズが生まれると思っていた」と平松氏は言う。”あの時の決断を誇りに思う”

 

 

関連記事